HIV感染症患者さん達に向けてセミナー

昨年の2018年8月6日、ハワイオアフ島にあるクイーンズ・メディカル・センターの患者さん達のために2時間のセミナーを行いました。
今回の参加者の方は全員がHIV感染症を患っており、一人を除いて全員が男性の患者さんでした。HIV治療薬の副作用と戦う方、薬物依存症を伴う方、睡眠障害、うつ病などの心理的な病気を患う方、そして社会復帰までの問題と戦う人など、それぞれの方がHIV感染症だけでなく、更なるチャレンジを目の前に毎日の生活を送られているグループでした。
参加者のほとんどの方はホームレス状態から救われた方々で、2年間のうちに今の保護ハウジングから自立しなければならないというプレッシャーの中にいる人達でもありました。

初めは何が行われるのか、不安に感じている方もいらっしゃいましたが、セッションが始まり、頭の中の思考(ノイズ)を少なくすることがいかに幸せな人生に繋がるか。というところでは全員が同感し、参加者の一人は「そうなんだよ、俺の頭の中のごちゃごちゃのノイズをどうにかしてくれ!」と叫んで、周りに共感を得ていました。

そんな中、今回のセッションでは一人の70代の男性の経験を通して、とてもいい気付きがありました。
彼はセッションの初めにこう言いました。
「俺は、初対面の人でもすぐいろんなことしゃべれるんだ。天気のようなちょっとした話から、奥の深い話まで、誰とでもいろいろ喋ることができるのさ。」
しかし、彼はセッションが進むにつれて、不必要なことまでしゃべりすぎている自分の姿に気が付いたのです。

誰かと時を共にしたときに、「自分、自分、自分」と無意識に自分中心のおしゃべりをしていませんか」、という質問に気付きを得たのです。

普通、相手と繋がるために、相手とおしゃべりを試みることがあるかと思います。相手は初対面の人かもしれないし、いつも一緒に暮らしている家族の一員かもしれません。ただ、真の意味で心をつなげて人とお付き合いする際、一人よがりにおしゃべりをしてしまっていることはないかどうか問いかけてみてください。
人と本当の意味で心をつなぐことを考えた場合、自分が中心になった考え方が根本にあると、相手の心と自分の心を合わせることができません。自分本位でベラベラ喋っていると、相手の意識状態まで推し量ることができず、相手の考えや感情さえも理解することができないのです。

この気付きは、実は私自分自身の経験から得られたものであり、その体験談を皆の前でしました。

2年ほど前、ワンワールドアカデミーのシニア教授であるアナンダギリジをハワイにお招きしてセミナーをしたときのことです。私が運転席に座り、アナンダギリジが助手席に座っていました。車内には他に誰もいませんでした。私は「何か会話をしなくては申し訳ない。」「何かしゃべらなくては、ハワイをつまらないと思うかもしれない。」と思い、ハワイ滞在を楽しんでもらうためにも、取り留めもないことを一生懸命しゃべっていました。

アナンダギリジ本人は、いつものように微笑んで私が話すことを聞いていました。別に暇そうにも見えないし、つまらないと思っている様子もありませんでした。ただ微笑んでうなずいていました。
そんな中、キアヴェ(kiawe)という木が繁殖していることに目が留まり、その木について私は「ああ、あれはキアヴェというハワイの木です」とさらり、とお話したのです。すると、アナンダギリジは驚いた様子で「あれ?あれはハワイの木ではなく、OOから来た木なのではないでしょうか。」
今となっては、彼がその時アフリカから来た木だと言ったのか、それとも南アメリカから来た木だと言ったのか忘れてしまいましたが、グーグルで後で調べてみると、どうやらこの木は中南米から来た外来種の木だそうです。古来からハワイに生息する木ではなく、環境的にも侵略的な木のひとつなんだそうです。

はっきりいってどこから来たのかが大事ではなく、私としては正しくない情報をさらり、と言ってしまったことが非常に恥ずかしく思えたのです。その場ではすぐに「あ、存じませんでした。」と謝りましたが、そのあと恥ずかしさはしばらくは消えませんでした。

その後一人になって、「どうしてあの時、わからないことまでさらりと言ってしまったのだろう」と考えました。すると、相手のことを思って楽しませるためにペラペラ話していたという行動がいかに不必要なことであったかということに気が付いたのです。
自分が相手を楽しませるためだと思ってやっていたことが、結局は自分が二人きりの社内で緊張をしているばかりに、ただ緊張を和らげるために、自分のために喋っていた、ということに気が付いたのです。相手のことを思っていたのではなく、結局は自分が中心となった意識の元行われた行動でした。だからゆえに、必要ないことまでペラペラ話していたのです。

この経験があってからは、相手のことを考え、必要な時にだけ会話をするようになりました。人によっては、二人きりになったとき別に無言でも構わない人もいるということにも気が付きました。
アナンダギリジはどういう状態でもまず穏やかに過ごされている方なので、別に私がその平穏を崩す必要もないことに気が付きました。それ以来二人でいる時でも、お互いにただ無言で時を過ごすこともよくありましたが、そのことについて別に変だと思うこともなくなったのです。そして、楽しませなくてはならない、というプレッシャーもなくなり、下手に緊張することもなくなりました。

人と会っているとき、必ず相手と会話をする必要はないのです。相手と心を合わせることを考えたとき、もし相手が自分のスペースを欲しい、と思っているようであればそっとしておくこともできます。あるいは、相手が居心地よさそうにしているのであれば、べつに要らない会話をあえてする必要もないのです。相手が話したいと思っているようであれば、相手のお話に合わせて応じることもできますし、そんな時は楽しく会話が弾むでしょう。

そのような実際の私の経験談を話したあと、先程の70代の男性は目を見開いて言いました。

「俺は兄弟からも『おまえは黙ってろ!うるさいんだよ。しゃべりすぎなんだよ。』って言われるぐらいべらべらしゃべっちゃうんだよな。そうか、俺は自分の事ばかり考えて、ベラベラしゃべってたってわけか。」

そう彼は言った後、すこし黙りこくって自身の気付きを心に落としていました。

講義が終わった後、小休憩があり、メインのメディテーションに移りました。今回は自分自身の心の中を溢れるような愛で満たすことのできる愛のメディテーションです。自分の周りにいるあらゆる人々に向けて、自分自身の心の中から沸き上がるような愛を送っていくという素晴らしいメディテーションです。

メディテーションの途中で部屋の真ん中に座っていた50代の大柄の男性が号泣し始めました。

声に出してオオン、オオンと涙を流すのでした。彼の涙はメディテーションが終わるまでずっと続きました。メディテーションが終わり、私が最後の挨拶を終えたとき、彼は落ち着いた様子で、皆の前でこう答えました。

「私は奥さんを10年以上前に亡くしました。僕のソウルメイトだったんです。心から愛していました。」そう言って彼女のことを偲んだかと思えば、次の瞬間には涙を拭いて、ジョークを込めながらこう言っていました。「その後いろんなボーイフレンドに恵まれたけどさ!」会場を一度沸かせた後、彼はすっきりした様子で会場を後にしました。

アメリカにいるとよく思うことですが、カップルの体系も様々で、初めの結婚が女性とだったからと言って、2回目からのお付き合いの相手が女性とは限らないんですね。今や同性結婚も認証されているハワイですから、ひとそれぞれいろいろな関係を築いていくのが当たり前になってきています。

これまで色々なグループの前でセミナーを行ってきました。人はそれぞれ違う状況にあり、それぞれの悩みや苦しみを抱えて生きています。それでも、人が抱える苦悩の意識状態には共通するものがあり、それはどんな状況に置かれた人でも同じだということに気が付いてきました。今回もHIV感染症という大きな病気を抱える人との出会いでしたが、それぞれに抱える悩みの根底には万人に共通するものがありました。

参加者全員がそれぞれに、いい気付きを得て会場を立ち去っていく姿を見て、心が温まりました。その後クイーンズ・メディカルセンターの方から連絡があり、セミナーの後、患者さん達の反響がよく、また来週来てくれないかとのお願いでした。
次回は是非、「問題に直面した時にどう対処すればいいか」というテーマをより深めてお教えすることができればと思っています。

また、クイーンズ・メディカルセンター内にある他の部署からも依頼が来て、HIV感染症以外にも、他の病気と闘う人たちのために病院施設内でセミナーをしてくれないかとのことでした。 ハワイでも、日本でも、少しずつ「意識的に生きる方法」が広がっていくことを感じています。

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